大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)9929号 判決 1988年2月15日
原告 平山正男こと 申正男
<ほか三名>
右四名訴訟代理人弁護士 山田一夫
被告 大阪府
右代表者知事 岸昌
右訴訟代理人弁護士 前田利明
右指定代理人 西沢良一
<ほか三名>
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告申正男に対し二〇〇万円、同金正順に対し二〇〇万円、同尹洋子に対し一七八二万八一二五円、同申千春に対し一五八二万八一二五円及びそれぞれの右金員に対する昭和六〇年一二月八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの地位
原告尹洋子は亡申天烈(以下「亡天烈」という。)の妻、同申千春はその子、同申正男はその父、同金正順はその母である。
2 本件事故
昭和六〇年六月一一日午後七時三〇分ころ、亡天烈は大阪府東成警察署(以下「東成署」という。)を訪れ、保護を求めたので、東成署防犯課長富田秋好(以下「富田課長」という。)は東成署留置場二階一一号室(以下「本件一一号室」に保護したところ、同日午後九時四〇分ころ、本件一一号室で縊頸により窒息死(自殺)した(以下「本件事故」という。)。
3 被告の責任
(一) 保護に関する国家賠償法一条一項の責任
(1) 富田課長、東成署内原撤巡査部長(以下「内原巡査部長」という。)及び同薬師寺光巡査長(以下「薬師寺巡査長」という。)はいずれも被告の地方公務員として、亡天烈の保護手続きの公務執行に際して、左記のとおり注意義務を怠った。
(2) 警察官は、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)三条一項一号に基づく保護に際し、本人の身元をあきらかにしてできるだけすみやかに、本人の家族、知人その他関係者に通知し、必要な手配をする注意義務があるのに、これを怠り、富田課長は軽率にも亡天烈が覚せい剤中毒の幻覚症状にあるものと疑うあまり、亡天烈の親族等への通知をしなかった。富田課長が保護後直ちに亡天烈の家族等への連絡をし、同人の引取方につき手配をしておけば、本件事故を阻止しえたはずである。
(3) 警察官は、警職法三条一項一号に基づいて保護するに際し、保護に値する適当な場所で保護する注意義務があるにもかかわらず、富田課長はこれを怠り、仮に、適当な場所で保護すれば本件事故が未然に阻止できたはずであったのに、亡天烈を他の留置室と同一の構造である本件一一号室に保護するよう指示した。
(4) 昭和六〇年六月一一日夜、東成署で留置人等の看守に当たっていた内原巡査部長及び薬師寺巡査長は、亡天烈が精神錯乱状態で保護されたのであるから、同人が自殺しないように巡回監視する注意義務があるのに、これを怠り、同人の自殺行為を看過し、その制止をすることができなかった。
(二) 国家賠償法二条一項の責任
(1) 本件一一号室は、被疑者の留置施設であって公の目的に供用される物的設備であり、国家賠償法二条一項の「公の営造物」である。
(2) 本件一一号室は、看守からの目のとどかない室であり、また、他の留置室と全く同一の構造であって、一一号室内の便所の扉にズボンを用いて首を吊ることが可能であり、保護室として欠陥があった。
(三) 報道機関への通報による国家賠償法一条一項の責任
(1) 東成署は「昭和六〇年六月一一日、申天烈を覚せい剤を含む薬物中毒の疑いで保護中、本人が自殺死亡した」と大阪府警察本部(以下「府警察本部」という。)へ連絡をし、府警本部広報課堂園係長(以下「堂園係長」という。)は、その旨を翌一二日午前一時二〇分報道機関へ通報した。
(2) 報道機関は、昭和六〇年六月一二日の新聞において、「覚せい剤の幻覚症状で保護中自殺した」(サンケイ朝刊)、「薬物中毒の疑いで保護中自殺した申には腕に多数の注射痕もあった」(毎日夕刊)と報道し、NHKも同日午前六時のニュース番組で同旨の報道をし、あたかも亡天烈が覚せい剤中毒者であり、幻覚症状から留置中自殺したかのごとき虚偽の事実が世間に流布される結果となった。
(3) しかしながら、その後の府警本部科学研究所の検尿結果によっても、亡天烈の尿には人体に影響を与えるような薬物の検出はなかったのであり、同人の自殺は心身の疲れからの発作的自殺と推定され、同人及びその遺族の名誉は府警本部の軽率な通報及び発表により著しく毀損された。
4 損害
(一) 亡天烈の損害
(1) 逸失利益
亡天烈は死亡当時三〇才であったから就労可能年数は三七年である。収入を一か月二五万円、右就労期間を通じて控除すべき生活費を三割とし、ホフマン係数二〇・六二五により死亡時の逸失利益を計算すると、四三三一万二五〇〇円となる。
(2) 慰藉料 二〇〇〇万円
(3) 亡天烈の過失を五割として過失相殺すると、被告の過失による損害負担分は(1)及び(2)の合計六三三一万二五〇〇円の五割である三一六五万六二五〇円となる。
原告尹洋子は亡天烈の妻として、原告申千春は同じく子として法廷相続分にしたがってそれぞれ右金員の二分の一を相続した。
(二) 原告尹洋子、同申正男及び同金正順の固有の慰藉料 各二〇〇万円
よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条一項または二条一項による損害賠償請求権に基づき、原告尹洋子につき一七八二万八一二五円、同申千春につき一五八二万八一二五円、同申正男及び同金正順につき各二〇〇万円並びに各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和六〇年一二月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実のうち、「二階の留置場一一号室」は「留置場二階の保護室(一一号室)」である。その余の事実は認める。
3 同3(一)(1)の事実のうち、富田課長、内原巡査部長及び薬師寺巡査長が被告の地方公務員であることは認めるが、その余の事実は否認する。
同3(一)(2)の事実のうち、富田課長が亡天烈を覚せい剤中毒と「軽率に疑った」こと、富田課長の注意義務違反及び富田課長が亡天烈の家族等へ通知をしなかったことと同人の死との因果関係を否認し、その余の事実は認める。
同3(一)(3)の事実のうち、「留置場二階一一号室」は「保護室」である。富田課長の指示と亡天烈の死の因果関係を否認する。その余の事実は認める。
同3(一)(4)の事実のうち、内原巡査部長及び薬師寺巡査長の注意義務違反の事実を否認し、その余の事実は認める。
同3(二)の事実のうち、本件一一号室は被疑者の留置施設であることは否認し、その余の事実は認める。
同3(二)(2)の事実のうち、本件一一号室が看守の目のとどかない室であること及び保護施設として欠陥があることは否認し、その余の事実は認める。
同3(三)(1)の事実のうち、「薬物中毒の疑いで保護した」と連絡し、また、その旨報道機関へ通報したことは否認し、その余の事実は認める(なお、報道機関への通報は一二日午前一時四六分ころである。)。右連絡ないし通報の内容は「亡天烈が保護中自殺した。本人の言動に異常があり、あるいは覚せい剤中毒の疑いもある」というものである。
同3(三)(2)の事実のうち、報道機関が報道したことは認め、その余は知らない。
同3(三)(3)の事実のうち、薬物が検出されなかったことは認め、その余の事実は知らない。
4 同4の事実は否認する。
三 被告の主張
1 過失の不存在
(一) 富田課長が亡天烈の家族等に連絡しなかった点について
東成署公廨受付において、亡天烈を保護した則尾洋一巡査(以下「則尾巡査」という。)から連絡を受けた西嵜章憲巡査部長(以下「西嵜巡査部長」という。)は同署二階防犯課室に亡天烈を同行し事情聴取した際、亡天烈に対し、家族へ連絡する旨を話したが、同人が首を横にふり、手足を震わせて拒否する態度を示したので暫くは右連絡を見合わせることにした。そして、西嵜巡査部長は右の状況を当直責任者である富田課長に報告し、同人は亡天烈の状態を観察した上で「二時間ほど保護室で保護し、状態によっては家族に連絡し、身柄を引取らせることにせよ」と指示した。
以上のような当時の状況を考慮した上で「直ちに」通知しなかったとしても、警職法三条二項に違反するものではない。
(二) 監視義務について
同日午後八時三五分ころ、薬師寺巡査長が亡天烈に対して、布団を敷いて早く寝るように指示したところ、同人は肯いて布団を敷き始めた。その後、午後九時ころ薬師寺巡査長が、同九時一五分ころ内原巡査部長が、同九時三〇分ころ薬師寺巡査長が各々巡回監視を続けていたところ、午後九時五〇分ころ、内原巡査部長が巡回した際、本件事故を発見したものである。
以上のとおり、薬師寺巡査長及び内原巡査部長は保護室を適宜巡視しており、監視義務に違反するものではない。
(三) 亡天烈の自殺の予見可能性について
保護当時の亡天烈の言動その他当時の状況では、同人が自殺その他の自傷行為に出ることを東成署関係警察官が予見することは不可能であった。
2 報道機関への通報について
(一) 堂園係長が本件事故について、報道機関に通報するに至った経緯は、市民からの通報を受けたということで(この時点では、警察のほか亡天烈の関係者以外は知らなかった)、新聞社から深夜に取材があったので、堂園係長は、誤った報道がなされることを防止するため止むなく、当時警察の認知していた本件事故の概要を深夜ではあるが、急拠翌一二日午前一時四六分ころ通報したものである。
(二) 亡天烈の本件事故当日の挙動その他の事情から、警察関係者が覚せい剤中毒の疑いがあることを真実と信じたのは相当の理由がある。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1(一)の事実は知らない。
同1(二)の事実は知らない。
同1(三)の事実は否認する。
2 同2(一)の事実は知らない。
同2(二)の事実は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1の事実(原告らの地位)は当事者間に争いがない。
二 本件事故の発生に至る経緯
《証拠省略》を総合すると次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 亡天烈が東成署へ訪れた状況
昭和六〇年六月一一日午後七時三〇分ころ、亡天烈が東成署正面玄関から足をふらつかせて入ってきた。当時東成署公廨受付に勤務していた則尾巡査が玄関入口にある長椅子に亡天烈を坐らせたが、同人は視線がうつろで定まらず、「人が怖い、人が怖い、助けてくれ。」と言って、何かに怯える様子であった。亡天烈は、自己の氏名及び住所を答えなかったが、則尾巡査は同人のズボンの右後ろポケットにはいっていた運転免許証及び外人登録証等により身元を確認した。
そして、則尾巡査は当日の当直責任者である富田課長に亡天烈のことを報告したところ、富田課長は同人を観察して、精神障害と認められるから保護し、防犯課に検査をするよう指示した。
2 西嵜巡査部長の事情聴取と覚せい剤の予備検査の状況
西嵜巡査部長は二階防犯課において、亡天烈に対して事情聴取をしたが、同人は常に回りの人の動きにつれて目をきょろきょろと動かし、上半身が小刻みに震え落ち着きのない様子で「周囲の人がつきまとって殺しに来る」というようなことを言っていた。また、西嵜巡査部長は亡天烈の所持品を検査し、運転免許証、外人登録証及び診察券をを所持していることを確認した。西嵜巡査部長は亡天烈の態度、言動及び同人の左手関節に注射痕があったことから、同人が生野の病院で注射してきたと言ったものの、覚せい剤使用の疑いをもち、予備検査をして擬陽性反応が出た。
尿検査の後、さらに事情聴取が続いたが、亡天烈はしぶしぶ自宅の電話番号を言ったので、西嵜巡査部長が電話しようとして電話機に手をかけたところ、亡天烈が首を横に振って電話してほしくないという態度であったため電話するのを見合わせ、以上の状況を富田課長に報告した。
富田課長は事情が詳しく把握できないこと及び亡天烈が自宅への連絡を拒む態度をとったことから直ちに連絡をすれば家庭内部のトラブルが大きくなり、精神不安定の状態がなおひどくなるのではないかと考え、二時間ほど保護した上で、状況によっては家族に連絡し、身柄を引き取らせるよう指示した。
8 本件一一号室への保護状況
西嵜巡査部長らは亡天烈を留置場へ同行して、内原巡査部長及び薬師寺巡査長に亡天烈の状況を説明した上で保護を依頼した。両警官は亡天烈の身体検査及び所持品検査をしたが、同人は素直な態度で暴れる気配はなく、二階一一号室に収容した。
午後九時ころ、薬師寺巡査長が見回りに行った際、亡天烈は仰向けになって寝ていた。同九時一五分ころ、内原巡査部長が見回ったときは、亡天烈は不安そうに立って、内原巡査部長を呼び止め、「何か音がしないか」と尋ねたので、同巡査部長は「(一時留置室に収容中の)おばあさんの声だから気にしないで横になっておきなさい。」と言った。同九時三〇分ころ、薬師寺巡査が見回ったときは、亡天烈は仰向けに寝ころんでいたが、時々目を開けていた。
当夜この時点までに亡天烈と接触した東成署の警察官はいずれも、亡天烈の自殺企図をうかがわせるような特段の態度・兆候を、一切認めなかった。
同九時五〇分ころ、内原巡査部長が見回りにいくと、亡天烈はズボンの裾の両端を縛って輪にし、その輪を一号室の便所の扉を開いて、その扉の上縁にかけ、その輪に頸を吊っていた。同巡査部長の連絡により薬師寺巡査長らがかけつけ、人工呼吸等を実施したが、亡天烈は午後九時四〇分ころ、縊頸により窒息死していた。
三 そこで、以上認定した亡天烈の行動とこれに対して警察官らがとった措置の経過に基づき、被告の責任の有無について検討する。
1 富田課長が亡天烈の家族等に連絡しなかった点について
警職法三条二項によると、警察官は、同条一項記載の精神錯乱者等を保護した場合、身元を明らかにしてできるだけすみやかに、その者の家族、知人その他の関係者に通知し、その者の引取方について必要な手配をしなければならないものとされているところ、本件においても、前記認定のとおり、所持品検査により運転免許証や外国人登録証が確認され、また、事情聴取により亡天烈の自宅の電話番号が判明したのであるから、同人の家族への連絡は可能であったことが認められる。
しかしながら、前記認定のとおり、西嵜巡査部長が亡天烈の自宅へ電話しようとした際、同人が拒絶する態度をとったことに加え同人が警察に保護を求めた事情自体についても詳しく判らなかったことに鑑みると、それらの状況から、富田課長が亡天烈の家庭内にトラブルがあるのかもしれないと判断して、家族等への連絡を一時見合わせたことをもって、その裁量を逸脱し、著しく不適切な措置であったと認めることはできない。
2 亡天烈の自殺の予見可能性について
(一) 《証拠省略》を総合すると、亡天烈は本件事故の一週間ほど前から仕事上のトラブルに悩んでおり、昭和五九年一〇月ころより勤務していた会社も同六〇年六月に入って二、三日休んだこと及び本件事故当日である同月一一日午後五時ころ、亡天烈は体調が悪いということで、妻の原告尹洋子とともに生野区の愛和病院へいったが診察時間の都合で一旦帰宅し、同六時少し前に今度は亡天烈一人で病院へ行ったが、その際、原告尹洋子は、亡天烈の様子からして同人の自殺企図をうかがわせるような態度に気付いてなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 一方、前記認定のとおり、亡天烈は同日、東成署において、「人が怖い」等と言ったり、落ち着きのない様子であったものの、本件一一号室に収容する際の所持品検査等についても素直に応じており、本件事故前の薬師寺巡査長らの見回りの際にも特段自殺企図をうかがわせるような態度が認められなかったこと及び前記(一)認定のとおり、亡天烈が仕事上の悩みがあることを知っている妻の原告尹洋子でさえ、本件事故当日、亡天烈の自殺企図について全く関心をもたなかったことからすると、亡天烈の保護に関与した東成署の警察官が同人の自殺を予見できたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
3 薬師寺巡査長及び内原巡査部長の監視義務違反について
《証拠省略》によると、東成署の監房の各部屋は一時間におおむね四回巡回監視するようになっていること及び本件事故当日、留置場一階の巡回監視の後二階へ上がったとき中二階の看守台で四、五分監視していたこともあることが認められ、これを覆すに足る証拠はない。
そして、前記2認定のとおり、薬師寺巡査長及び内原巡査部長も亡天烈の自殺企図について予見可能性があったと認められないのであるから、本件の場合、通常の巡回監視以上に監視する義務は生じていないものと考えられるところ、前記認定のとおり、両警察官は午後八時三五分に亡天烈を保護した後、同九時台に四回巡回監視を行い、また、適宜看守台からの監視も行っており、両警察官に巡回監視義務違反を認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
四 本件一一号証の設置・管理の瑕疵及び富田課長の収容指示について
検証の結果によると、東成署留置場は二階建の構造であり、一階出入口の左側部分に収容者の出入りに際して所定の手続を行うための手続机が置かれていてその奥の部分に五室の留置室、北東端に一時留置室が扇型に配置されていること、二階部分は看守台から吹抜部分をはさんで奥の部分に四室の留置室、北東端に本件一一号室が扇型に配置されており、看守台から各室を監視する形態になっていること、本件一一号室は入口部分に「保護室」の表示が付けられており、内部の構造は一時留置室を除く他の留置室と同じ構造であって、北西部分に便所があり、扉を外側に開けて使用する形態になっていること、及び、その他本件一一号室の構造は別紙「二階保護室(一一号室)見取図」のとおりであることがそれぞれ認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。
ところで、国家賠償法二条一項の営造物の設置・管理の瑕疵とは営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これは具体的に通常予想される危険の発生を防止するに足りると認められる程度のものを必要とし、かつこれをもって足りるというべきである。
前記認定のとおり、本件一一号室には「保護室」の表示板が揚げられており、《証拠省略》によると、東成署では留置室が満室のときは本件一一号室を留置室として使用することもあるが、警職法三条一項一号による保護をする場合は必ず本件一一号室に収容していることが認められ、これらの事実によると本件一一号室は保護室であると認められる。右認定に反する原告申正男の供述は措信し得ない。
このように保護室である本件一一号室は一時留置室を除く他の留置室と同じ構造であるが、二階看守台から監視することが可能であること、亡天烈を本件一一号室に収容する際、所持品検査及び身体検査が行われていること、一時間に四回の巡回もなされていること、さらに、前記認定のとおり、亡天烈の保護に関わった警察官には同人の自殺企図を予見することができたと認められないことを総合すれば、亡天烈が本件一一号室内便所の扉にズボンをかけて首を吊ることは通常予想される危険の発生とはいえず、したがって、本件一一号室がその構造のゆえに保護室として通常有すべき安全性を欠いていたものとは認め難く、従って、被告にその設置管理について瑕疵があったとは認められない。
以上のとおりであるから、富田課長が亡天烈を本件一一号室へ収容するよう指示した行為にも注意義務違反は認められない。
五 報道機関への通報について
(一) 報道機関への通報の経緯
《証拠省略》を総合すると、亡天烈が自殺した昭和六〇年六月一一日午後一一時過ぎ、東成署富田課長は府警本部へ本件事故の報告をしたこと、翌一二日午前一時三〇分ころ、市民からの通報があったということで読売新聞社から東成署及び府警本部に取材があったこと、府警本部としては、保護中の自殺事案であり、発表せざるを得ないということで同日午前一時四六分ころ、堂園係長は府警本部報道係において、府警記者クラブに加盟している一三社に対して、要保護者の自殺事案の発生、保護開始・収容状況及び自殺発見時の状況その後の措置、また、覚せい剤に関しては要保護者がふらふらと警察署に訪れて人が怖いなどと意味不明のことをいっており、その様子から覚せい剤中毒の疑いがあったので腕を確認したところ注射痕があったと発表したことがそれぞれ認められ、これを覆すにたりる証拠はない。
一方、《証拠省略》によると、東成署からの連絡により原告尹洋子及び同金正順らとともに同署へかけつけた秋山登は同署警察官による事情説明に納得できなかったため、報道関係者へ連絡するように亡天烈の身内のものへ指示し、それにより報道機関に通報され、同人は報道関係者の取材を受けたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(二) 以上の事実からすると、本件事故のあった翌一二日未明の段階では本件事故については、警察関係者及び亡天烈の遺族のみしか知らなかったのであるから、秋山登の報道関係者への通報により報道機関が取材を始め、これにより一二日未明の段階で大阪府警が発表せざるを得なくなったものと認められ、原告らが主張するように同園係長が「亡天烈を覚せい剤を含む薬物中毒の疑いで保護中であった」旨報道関係者に積極的に通報したと認めるに足りる証拠はない。また、たしかに後の鑑定によれば、亡天烈の尿からは薬物の検出は見られなかった(この事実は当事者間に争いがない)ものの、亡天烈が東成署を訪れた際の状況及び注射痕の存在からすると、担当警察官らが亡天烈に覚せい剤使用の疑いがあると信じたことには相当の理由があるものと考えられ、従って、堂園係長が、報道機関に対して、右の事実をそのまま発表したことをもって、警察官としての職務に違反した軽率な行動であったと認めることはできず、他に報道機関に対する右発表の違法性を認めるに足りる証拠はない。
六 結論
よって、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなくいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河田貢 裁判官 浅野秀樹 橋本眞一)